そこに愛はあるのか?

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ここ十数年をかけて、私は今までの自己イメージと実際の私が、とてもかい離していることに気がつき始めた。

社会人になり、結婚し、子どもを産んだという経験を通して、ゆっくりと見えてきた景色だった。

過去の自己イメージは、勉強もでき、なんでもテキパキこなす人間。

実際の私は、動くことが嫌で、何もしたくない人間だ。

(生活の過程でそうなったのかも)

 

自己イメージは私の母そのものだった。

私が母を「よくできる人間」と見ていたので、それと一緒になりたい私は、自己イメージを母に反映させていた。

それほどまでに、私は母のことが好きだった。

はっきり意識はしていなかったが、母を尊敬していたのだろう。

 

でも、結婚して子どもを産んだ時、なぜか私は「本当の自分を信じて、子どもの見本にならねばいけない」と強く思った。

母の真似事ではなく、本来の私で生きていかねばならない。

地に足の着いた生き方をしていかねばならない。

そう思った。

 

そうやって見えてきた新たな自分と、これまでの自分の周りの環境に対し、私はだんだんと違和感をもつようになってきた。

私は親に大切にされてきたと思っていたが、本当にそうなのだろうか?

愛はそこにあったのだろうか?

私はないものを追いかけていたのではないだろうか?

 

私はゆっくりと自分と向き合うことで、自分のどんな感情も大切にするようにした。

自分の弱いところ、できないところも受け入れるようにしてきた。

すると、だんだんと親に対する負の感情も自分の中で明確になってきた。

今回はそんな変化のなかで、心の琴線にひっかかった出来事を記載したいと思う。

 

心細い私

先日、地元の春祭りがあった。

いつもは夫が役を引き受けていたのだが、今回は子どもも駆り出されたため、私も付き添いのために参加することになった。

本当は精神的にも肉体的にも疲れる祭りには参加したくなかったが、私に拒否権はなかった。

 

子どもはみこしを担ぐ役をして、町内を回ったため、その間中ずっと私は子どものそばで歩いていた。

今回が初めての参加のため、町内が一緒である実父も実母も、一緒に子どもについていてくれることになった。

実父は祭りの役だったので、もともと参加する予定だったが、私は実父とは仲が悪いため、本当は実母にだけ付いてきてもらいたかった。

しかし実父は子どもを心配してついてくることになった。

実母(以降、母)は、最初は参加しないつもりだったが、私が心細いと訴えたので、ついてくることになった。

 

子どもはみこしを担ぎながら、町内を3時間ほど巡回した。

結構進行スピードが速かったので、私はついていくのが精いっぱいだった。

最初は列の後ろの方で母と二人で話しながらついて行ったが、父が「子どもの隣にいなきゃかわいそう」というので、私だけ子どものそばに駆け寄って、歩くことになった。

母は歩くスピードが速いからか、ついてこなかった。

 

そして途中、母はいきなり列からいなくなった。

私は心細くて辺りを見渡したが、母はおらず、後で聞くと、途中の薬局でトイレを借りにいっていたのだそうだ。

一言、言ってくれればいいのに。

私も誘ってくれればいいのにと思った。

 

また祭りは3時間ほどあるので、もちろん途中トイレに行きたい子も出てくる。

そのためにトイレ休憩はしなくてはならない。

衣装は結構複雑なので、それを脱がせるのだ大変だ。

私の子もトイレに行かせようと思ったが、その時も母は「行ってらっしゃい」と送り出すだけで、手伝ってくれる気配はない。

始終、ただ行列について歩くだけだった。

あとで聞くと、しばらく歩いたら母は行列から抜けるつもりだったそうだ。

私が心細いということが、全くわかっていなかったようだ。

 

好きなのに信用できない

昔から、母は私が自分でやりたいと思う時に限って、横から口出ししてきて、無理やり言うことを聞かせ、私が本当に困っている時は放置だった。

私がすがりついていっても駄目だった。

そのくせ、私に向かって「なんで一人でできないの」と注意してきた。

 

やりたいことをやらせず、したくないことをやらせ、私の自尊心をコテンパンにつぶしてくるような母だった。

とにかく自分の言うことを聞かせたい。

コントロールしたい。

今振り返って思うと、そんな意思が垣間見える。

 

私はそんな家庭の中で育ってきたのでそれが普通かと思っていたが、去年できたママ友を見ていると、違っていた。

ママ友は常に子どもの様子を気にかけていて、「今なにしたい?」と聞いている。

私が見ているからいい母を演じているのかと邪推したが、きっとこれが普通なのだろう。

 

そしてママ友の子どももちゃんと自己主張できている。

ママ友の一人目の子どもは、小学生の時、絶対学校に行きたくないと言ったそうだ。

親とひと悶着あった末、その子は支援級に通うことになった。

私が驚くのは、その子が親に「絶対学校に行きたくない」と言って、親ともめても行かなかったこと。

 

私は昔、いじめを受けた時、親に相談することができなかった。

どうせ相談しても、何も対処してくれるとは思えなかったから。

親を信用できなかったのだ。

ママ友は、そんな私とは違う家庭だと思った。

いい面ばかりが見えているのかもしれないが、やっぱり何か悲しくなった。

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祭りは続く

祭りが終わって子どもが衣装を脱ぐ時も、母は「行ってらっしゃい」というだけで、付いてきては来ない。

私にとっては初めての祭りなのに、そんなことは関係ないのだろう。

私が極度の心配性だから、手のかかる私の方が悪いのかもしれないが、そんな私の個性は母には興味がないようだ。

 

祭りが終わると、夫の両親もよんで、実家で食事会をした。

子どもが祭りに参加したのが初めてなので、お祝いだそうだ。

本当は私は疲れて食事会なんてしたくなかったが、実父がめでたい席なのでと開くことを決めた。

そこで母が話すのは、いつも自虐ネタだ。

子どもが上手くみこしを担げなかったとか、しゃべってばかりいたとか、子どもが悪いところばかりをピックアップして話を盛り上げる。

 

私が小さい頃も、私のことを人に紹介するときはそうだった。

自分を卑下して相手を持ち上げるというやり方は、私は普通かと思っていたが、社会に出てみるとそんな人たちばかりでないことに気が付いた。

実家の考え方は男尊女卑的なところがあるが、嫁いできた母もそう扱われてきたのかもしれず、母も私をそう扱ってきたように思える。

家族がいて、一番下に母がいて、私(子ども)は母の気分のはけ口、そんな感じがした。

 

一人前がこなせない

結局、私が発達障害で統合失調症だということが、一番悪いのかもしれない。

一人前のことがこなせない。

疲れやすいし、子どもがわめくとすぐにイライラするし、子どもに暴言を投げかけてしまう。

結婚して出産しても、満足に自分の子どもを世話できず、いつも母に手伝ってほしいと思っている。

育児はできるだけ一人でこなしたいと思う反面、現実は実家や夫の実家に面倒をみてもらっているのが現状だ。

他の親よりも頼りないと思う半面、上手に人に頼ることもできず、夫や母にしか本音を言えない始末である。

 

私は夫や母に精神的に頼りきりで、普通の人よりもメンタルがとても弱いと思うが、周囲の人はそう見ない。

明らかに分かる障害じゃないし、例え病気を知っている人(夫や母)でも、結局は「自分のことは自分で」という考え方で私を見てくる。

私はいつも心細くて、心配で、夫や母以外の人と合うのがとてもストレスがかかるのに、そんな弱い私には二人とも興味がない。

だれもが私を、普通のことができて当然の人間だと思っている。

 

無償の愛はない?

これって愛なのかな?

そう思う。

そこに愛ってあるのかな?

 

みんな(今回の場合は、夫と母?)、自分のことしか考えていないんじゃないかな?

(もちろん私もそうかもしれないけど)

というか、みんなは自分のことで精一杯で、私のことなんかに興味がないのかもしれない。

私はずっとみんなに構ってほしくて、いつも寂しがっているけど、そんな私の駄目な個性なんて、みんなほしくないんだと思う。

 

母から生まれて、やっとのことでこの世を生きてきて、夫と結婚して、子どもを育てている。

自分の面倒さえみれないのに、私は子どもを育てている。

私は全てが半人前だけど、そうやってぎりぎりのラインで生きていかねばならないのかな、と思う。

 

今回は人の悪いとこばかりが見えているのかもしれないが・・・。

もちろん夫や母ばかりでなく、私が他の人にしてもらったことはたくさんある。

愛を受けてきたことはたくさんあるのかもしれない。

でも、無償の愛って、やっぱりないんだろうな。

みんな人間だし、限界あるんだろうな。

私が愛に満たされて生きるということはないんだろうな。

そう思う。

 

祭りが終わって、しばらくすると膝が痛くなった。

歩いている時は痛くなかったのに、時間差で痛くなった。

おそらく、みこしについて行こうと無理に歩いたため、膝に大きな負担がかかったのだと思う。

実父が私に、子どもの横で歩いてやるようにと言ったからだ。

実父の言うことは正しいけれど、こんなことになるなら、余計なことは言ってほしくなかった。

私は無理しないで、歩いていきたかった。

もうこれ以上、精神が弱いのに身体まで痛くなるのは嫌だった。

そして、私の人生もこれまで無理ばかりだったから、もっと自然体で生きていきたかった。

 

自分を信じて

私は自立して生きていかねばならないのかもしれないと思う。

実父や実母、夫に精神的に依存することなく、もっと自分を頼りにして生きていかなければならないのかもしれない。

今はそれが私の人生の課題なのかもしれない。

自分の思ったことを信じて、それを一番に尊重しなければならないのだろう。

たとえ身内といえど、私の人生の責任は取ってくれない。

私の人生は私が背負わなければならない。

それを思い知らされた出来事だった。

 

このブログの存在は夫や母も知ってるが、これを読もうとはしない。

そこまで私に興味はない。

読んだとしても、私のために態度を変えることはしないだろう。

それが現実なんだ。

頼りにならない人を頼ってはいけないんだ。

自分で自分を守るしかないんだと思う。

 

これからはもっと自分を信頼して生きていかねばならない。

自分を信頼する精神が本当に弱いけれど、それを少しずつ強化していきたい。

人の意見に流されてばかりいないで、もっと自分の自然な感情の抑揚を感じていきたい。

こんな経験を通して、少しずつ私はこの世に適応していって、生きていこうと思う。

私の精神は本当に子どもみたいに弱いけど、少しずつ大人に近づいていこう。

もっと一人で強く生きられるように、自分を成長させていこう。

そう強く思った。

 

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