学校教育は定型社会の押しつけの始まり

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以前の記事で、夫の親戚達から、私の子ども(ADHD)を注意されることが嫌だと書きました。

 

子どもはADHDなので、必要な時もじっとしていることができず、動いてしまいます。

 

奇声を上げたり、言っていることが矛盾していたりと、意思疎通が難しいような気がする時もあります。

 

でも周りの知人は、私の子どもがADHDの診断を受けていることを知ってか知らずか、一挙手一投足にわたりずけずけと注意してきます。

 

確かに子どものどの行動も危なっかしく、注意したくなることだらけですが、私が子どもだったら、やりきれないと思います。

 

注意されることだらけで、自己肯定感が低くなるので・・・。

 

とても危ないことをしていたら仕方ないですが、ちょっとマナーが悪いくらいレベルで注意されると、自分を否定されるばかりになり、いつかは自尊心がなくなってしまうでしょう。

(療育に通っている指導員も、あまり厳しく注意しないように助言してくれました)

 

 

 

 

そういう理由でも、私は押しつけというものが大嫌いです。

 

子どもに対する注意という押しつけもそうですが、発達障害者として、みんなと違う考えをもつことを否定されることが嫌です。

 

私の考え方は少し周囲と違うと思いますが、周囲はそれを放置せず、自分のルールを押し付けてくるように思います。

 

それも、そうすることが当然かのように。

 

相手(私)の気持ちなど、考えていません。

 

だから、発達障害者というマイノリティとして存在する時、私はこの社会に対して憎しみさえ感じてしまいます。

 

よく、発達障害者は相手の気持ちを分からないと言いますが、定型発達の人間こそ、自分が法律という顔をして、弱者に社会のルールを押し付けてきているように感じます。

 

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その社会のルールとは、「きちんとする」こと。

 

代々親から押し付けられてきた「きちんとしなさい」というルールを、自分の子どもに伝染させることで、この社会は成り立っています。

 

そして、「社会」とは、「定型社会」、つまり、「なんでもそつなくこなす人間が頂点に立つ社会」のことです。

 

そんな人間が自分の都合のいいようにルールを作り、発達障害者や、それについていけない人間を支配・排除します。

 

動物の世界と同じ、弱肉強食の世界ですね。

 

その押しつけの始まりが、学校教育です。

 

学校教育とは、「なんでもそつなくこなす、知的である、しっかりしている」ことを、子どもに押し付ける教育のことだと思います。

 

そうすることで、「社会」の基盤を作るのです。

 

子どもの頃は、「社会=学校」であり、そこで現代社会の基礎が作られます。

 

それについていけない者は社会の上辺に立つことができず、ルールに支配されるだけで、一生ルールを作ることができません。

 

 

 

 

私は、学校教師が現代社会の手先となり、子どもを洗脳しているように思います。

 

私の子どもは支援級に通っているのですが、普通級についていけることを目指して教育されています。

 

つまり普通級の個別指導というだけの教室です。

 

どちらにしても、みんな同じ方向に向かって進んでいるのです、なんの疑いもなく。

 

発達障害の個性を生かしているわけではありません。

 

単なる人間の画一化生産行動です。

 

こんなことを書いても、現代社会の仕組みは到底揺るぎませんが・・・。

 

せめて、私だけでも、私なりの感性で、子どもを個性を見つめてあげないといけないかもしれませんね。

 

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