自信がなくても自分で判断することで、この世を生きていく力が生まれる

人は自分に自信のある人とない人に分かれる。

私の感覚ではそれは生まれつきのものであって、いくらひどい生活環境で育った人でも、自分に自信のある人は過去を引きずらないのである。

今回は自分に自信のない人がどうやって自信をつけていけばいいか、考えてみようと思う。

 

自分に自信がない人とは

自分に自信がないの人は、愛情がほしい人であり、ありのままの自分を認めてもらいたい人である。

10の愛情をもらえば満足できるのが普通の人だとすれば、自信のない人は100の愛情が必要だった。

自分の全てを肯定してくれる親を求めるが、そんな親はほとんどいない。

基本的に親も人間であり、自分のことで精いっぱいだからである。

大人としては一生懸命かわいい子どもののことを考えるが、自分以外のことを100%サポートできる人なんていないのが現実だ。

もちろん祖父母も、親戚も、先生も、近所の人達も、子どものことを全てサポートできない。

残念なことだがマザーテレサや、イエス・キリストのような「できた人間」なんて周囲に求めてはいけないのだ。

 

自分に自信がない人は、甘えを捨てきれない

自分に自信がないの人は、一人で生きていくのが心細い。

いつも誰かに寄り添ってほしいと思っている。

でもそれは平等な立場ではなく、常に親と子のような甘えを求めることができる関係がほしい。

与えられるだけの関係がいいのである。

世の中を生きていくのが辛いのは、与えられるだけの関係ではないから。

背伸びを求められているようで、辛いのだ。

赤ちゃんのように世話を焼いてほしい、構ってほしいという気持ちがなくなることはない。

見た目は大人でも、心は子どものままなのである。

 

自分に自信のない人は、役割のない世界をのぞむ

自分に自信がないの人は、好きなことをしたい。

まるで5歳児のように、好きなものを食べ、好きな時に寝て、大人の役割を背負いたくない。

いつまでも一人気ままに生きていきたい。

自分の人生は自分だけのものであってほしい、永遠に。

この思いが消えることはないのである。

では、どうするべきか

そんな自分を否定する必要はない。

否定したくなればしてもいいのだが、それは自分の感情に任せる。

とにかく、その場その場で感じることに忠実に従っていけばいいのだ。

例えば、会社を休みたくなったとしよう。

60%の割合で休みたい気持ちがあり、40%の割合で後ろめたい気持ちがあったとする。

それなら割合の多い60%の気持ちに従って行動すればいい。

つまり休暇の連絡を入れるのである。

もし40%の割合で休みたくて、60%の割合で後ろめたい気持ちなら、割合が多いほうの60%に従って会社へ行くことを選択するのだ。

それを繰り返していって、したいこととすべきことの中庸をつかむ練習をする。

この時大切なのは、自分の感覚を信じること。

今まで家族や世間の価値観に判断をゆだねていた人は、つい自分の考えをないがしろにしてしまいがちだが、そこはぐっとこらえて自分の感覚を優先させるようにする。

自分を信じてこなかったぶん失敗する確率はあるかもしれないが、初めの一歩を踏み出すのだ。

それを繰り返すことでだんだんと自分というものが見えてきて、こんな場合、自分はこう動くということが分かってくる。

失敗というリスクを背負いながらも自分の選択をまるごと肯定することが、この世界を一人で生き抜くために大切なのである。

 

期待してはいけないこと

人は一人で生きてはいけないと言われる。

確かに、お金を稼ぎ、食べ物や住まいを得るためには、人の輪の中に出ていくことが必要だ。

それ以外にも精神的な意味もあるだろう。

人の温かさ、優しさは生きていくための大きな活力になる。

もっと発展すると、競争社会や部下に頼られることで生きがいを見出す人もたくさんいる。

ただ自分の根っこの部分である、自分自身への信頼感は自分で創り上げていかなくてはならない。

生物としてこの世に一人で立つ力、判断力、生き抜く覇気は人から与えられるものではない。

それが人より足りないと思う人は、時間をかけて自分を強化していく必要がある。

親や友人、その他周囲の人達に頼りながらも、自分の人生を自分で構築していこう。

いつでも誰かが一緒にいて支えてくれるわけではないのだから。

でも、それは同時にワクワクする真実でもある。

自分のことは自分で決められるということなのだから。

まとめ

人は何を感じてもいいのである。

感じたまに行動するわけではないのだから、人を大嫌いだと思っても、殺したいと思っても罪にはならない。

さきほど自信がない人は甘えがあるとか、役割をのぞまないとかいろいろ書いたが、それで上等である。

人は誰でも完ぺきではないのだ。

マザーテレサだってキリストだって、もしかすると不安や怒り、弱気な部分はあったのかもしれないし。

必要なのは、それを感じ切ること。

できるだけ否定せず、ありのままの自分を受けれることだ。

よく言われることだが、「いい人」は自分を殺して人に合わせるので生きていくのが辛くなるという。

「いい人」は自分の弱い部分・悪い部分を認めて表現することができない。

人よりも劣っている自分を感じてしまって尻込みするのだ。

それは自分のマイナス面を信じることができずに、プラスの面だけで人と付き合おうとするからである。

悪い部分も、良い部分もひっくるめて「自分」である。

全ての自分を認めて表現しながら生きていかねばならない。

感じることは自由だし、それを素直に表現する強さが必要だということを心に刻んでおきたい。

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