刺激を少なくして感情を自覚できれば、発達障害は治る

こんにちは、はなです。

統合失調症でおそらく発達障害もある専業主婦ですが、つつがなく日々をおくっております。

 

このブログのタイトルもそうですし自己紹介でも書いているように、正式な診断は受けていないんですけど、私は発達障害だと思っています。

理由は人の気持ちが理解しにくいこと、自分の感性が人とずれているように思えるからです。

でも最近「人ってみんな同じなんじゃないか」と思うようになりました。

嫌なことも一緒だし、嬉しいことも一緒です。

発達障害、特にアスペルガー症候群はその感性の違いから「宇宙人」と表されますが、そんなことはない。

自分の気持ちを感じる力が低いから、人間関係が上手くいかないだけではないかと思うようになりました。

今日はそのことについて書いてみたいと思います。

 

私が発達障害ではないかと思った理由

私は小学生・中学生のころいじめを受けていました。

クラス全体から無視されていたし、ばい菌扱いされたりもした。

でもいじめる相手に「お前なんか嫌いだ」とは言えず、へらへらして媚を売っていました。

そうすることで少しでも風当たりを弱くしたかったんですね。

実際はいじめがなくなることはありませんでしたけど。

人とうまくやっていく方法がわからず、相手に媚を売るか、唯一の友達(?)の言うことに完全に従うかしか、人間関係の構築の仕方が分かりませんでした。

人と対等に付き合うという感覚がなく、私にとって人間関係とは耐えることでしかありませんでした。

 

ほかに思い当たるのは、新卒で会社に入社した時です。

初日から遅刻してもあまりヤバいとは思わなかったし、初めて配属された部署の先輩に、忙しい中ずっと話しかけて嫌がられました。

自分としては、話をすることで気を遣っていたつもりなんですけどね。

空気をよめないというか、社会人としてのルールが分からなかったんでしょう。

学校では勉強さえしていれば、ある程度一目置かれていじめもエスカレートしませんでしたが、社会に出ると空気をよむ力やコミュニケーション能力が全てですから、私にとっては鬼門でした。

けっきょく閑職というか簡単な仕事しか回ってこない職場に異動になり、「あぁ、私はこの会社にとってお荷物なんだな」と自覚せざるをえませんでした。

そんな経験をするうちに、自分は他の人のように上手く人間関係を築けないタイプの人間、発達障害なんではないかと思い始めました。

発達障害が一般に認知されはじめたのは、ここ15年くらいですよね。

ちょうど私が会社に入社したころなんです。

ネットや書籍で発達障害という言葉を見るようになって、いろいろ調べていくうちに「まさに自分はそれに違いない」と思ったのでした。

 

発達障害とは、自分の気持ちが分からない障害

私は昔から母のいいなりと言うか、自分の意思を自覚できなくて、ほとんど母に決めてもらっていました。

自分が着る服を買うときもそうですし、進路だって母の身内に学校関係者が多かったことで、先生の免許をとるため教育学部に入りました。

本当は子どもなんて全然興味がなかったのに…。

そのあとすぐに就職し、結婚、出産も適齢期にこなしました。

世間のレールから外れると、母から見限られると思っていたからです。

学校ではいじめ、会社では閑職という底辺にいながらも、出来損ないと思われないために、なんとかギリギリのラインで頑張りました。

そんな私は気が付くと、自分で物事を決められない人間になっていました。

またいじめの経験から人が怖いため、相手の気持ちを考えてばかりいました。

人間関係をうまく築けないから人よりも劣っているに違いないと思い、常に人の動向を見て相手の真似をしたり、相手の機嫌をとらなければいけないと思い込んでいました。

でも今考えると、その自信のなさがダメだったんだと思います。

自分の気持ちが分からないのに、人の気持ちが分かるわけがない。

私の世界の中心は他人ではない、私自身なんです。

自分の中に自分が不在な上、他人で満たそうとしても、他の人は自主性があるので話が合わないんですよね。

他人軸の人間と自分軸の人間では、住む世界が違うんです。

人間関係が上手くいくのは自分軸の人間です。

圧倒的に他人軸の私が人間関係で苦しむのは、人の気持ちが分からないからではなく、自分がないからだということに気が付きはじめました。

 

この世界や自分を信じることがカギ

他人ではなく自分の気持ちを信じようと思い立ったのは、出産した時です。

生まれた子のために自信のない母親ではいられない、手本となる親になりたいと思いました。

それまでの他人中心の考え方を180度変え、生まれて初めて自分の判断でこの世界を生きていこうと思いました。

自分を信じればこの世界は私の思いにちゃんと応えてくれるに違いないと、なぜか思ったんですね。

母の陰に隠れてビクビクと生きるのではなく、未熟でも一歩一歩自分の足で進んでいきたかった。

出産した時は31歳だったので、私にとって31歳は実質0歳でした。

それから手さぐりで人間関係を築く方法を学んでいきました。

今までしたことがないことをするので、会社でも衝突があったし、今でも子どもが通う施設(放課後等デイサービス)の職員の人となかなかうまくやれません。

自分の気持ちをはっきり言ったことがないので自分でも自覚ができず、自己主張しなれていないんですね。

私はコミュニケーションとは、自分の考えを知る力だと思っています。

相手のことを考えることではない。

自分の望みを隅々までわかる人が、相手の望みも分かるんです。

だから発達障害は、人の気持ちが分からない障害ではなく、自分の考えが分からない障害だと思うんです。

発達障害の子は自分の意見ばかりを言うというイメージがありますが、本当は空気が読めないのではなく、空気をよんでいる自分を自覚できないだけなんだと思います。

人の思いをなんとなく感じてはいるんだけど、自覚できるほどではない。

自分の気持ちに敏感でないだけだと思うんです。

感情という「刺激」を処理しきれないんですね。

私が今とても実感していることなんですが、自分の感情をまっすぐに感じるということはすごくエネルギーがいります。

毎分毎秒、いろいろなことを感じるし、いろいろな出来事もおこるけど、それを全て認知して処理できるキャパシティーが少ないんです。

なので発達障害の子に必要なのは、刺激を少なくして一つ一つの感情にじっくり向き合える環境を与え、感情を感じる練習をさせることだと思います。

 

まとめ

定型発達の子を見て思うんですが、話しかけるとすぐに反応するし、笑ったり怒ったりの感情がはっきりしています。

それに比べて小さい頃の私や私の子ども(発達障害の診断済み)は反応がにぶいところがあります。

その理由は、できるだけ外界をシャットダウンして刺激を少なくすることで、この世界に適応しようとしているように思えるんですよね。

発達障害は刺激に対して敏感なところと鈍感なところがあると言われますが、本当は全部が敏感すぎるので、処世術として一部を鈍感にすることで耐えているだけのような気がします。

定型発達の人には想像できないかもしれませんが、本当にこの世界は刺激に満ちていて生きにくいです。

それでも生まれたからには楽しみがほしい。

発達障害の人にとって、その特性を生かしながら世界に適応してくことが生涯の課題になると思います。

定型発達の真似をするのではなく、自分自身のままで生きたい。

私がこれまでの人生で実感したことであり、これからの人生で成し遂げたい目標でもあります。

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