自分を責めないということ

こんにちは、はなです。

統合失調症でおそらく発達障害もある専業主婦ですが、つつがなく日々をおくっております。

 

今日は子どもが通う放課後等デイサービスの中間評価の日でした。

保護者が施設に出向いて、指導がうまくいっているか聞かされます。

3つの項目があり、評価はどれも「未達」となっていて、あまりうまくいっていないようでした。

どんな基準で項目を決めたのかは分からないので、どうでもいいのですが…。

施設には子どもと同じクラスの支援級の子が通っていて、その子と遊びたいというから行かせていますが、本人に興味がなくなればすぐに辞めようと思っています。

 

相談員も中間評価に参加した

中間評価では相談員という人が同席しました。

相談員は施設と保護者をサポートする役割で、双方に相談事やトラブルがあったときは、役所に代わって対応します。

私は以前その相談員に、私と施設の職員との関係があまりうまくいっていないということを話していました。

自己否定が減ってきた(でも怒りっぽくなったかも)

2017.11.15

相談員は間に入って問題を解決するために、双方の話し合いの場をもちたいと提案しました。

私は施設の職員と表立って対立するような気がしたので、断わることにしました。

すると今回の中間評価で、施設の職員の方が相談員に同席してほしいと言ったんです。

今日は三人で中間評価を行いました。

 

相談員との苦い思い出

相談員と初めて会ったのは去年の年末です。

放課後等デイサービスを利用するにあたり、私の家を訪問して子どもの話を聞きたいということでした。

子どもとも会いたいというので、学校が休みのときに予定を入れました。

当日、相談員が家にきて私と話をし終えたあと、子どもと会わせるために2階から子どもを呼んできました。

子どもはずっとゲームをしていて、相談員と会っているときもゲームを放しませんでした。

相談員はその様子を見て、「ゲームばっかりしているね~。私は自分の子どもにそんなことさせなかったよ。時間を決めてルールを作ったほうがいいよ」と言いました。

私はかなりムカッときました。

子どもに対する私の指導が悪いと言われたような気がしました。

それに子どものことを注意されると、自分を責められているような気持ちになるんです。

「初対面なのにそこまで突っ込んで話してくるとは、図々しい人間だな」と思いました。

でもそれを言うと気まずくなるかと思い、思いは胸にしまっておきました。

 

今日も子どもの文句を言われた

話は今日に戻ります。

私たちが中間評価をしている間、子どもは同じ施設のなかであずかっていてもらいました。

今日はちょうど利用日だったんです。

中間評価が終わったあとも利用時間は残っていたんですが、子どもが私と一緒に帰りたいというので、早めに利用を終えることにしました。

でも中間評価が終わっても、なかなか子どもは施設から出ません。

部屋の中にあるものを触ったり、ソファで寝っ転がったりして、すぐに玄関に行くことはありませんでした。

するとその相談員が「さっさとしないね~。時間ばっかりかかるよ」と言ったんです。

私はまたムッとしました。

あんたの子どもかよ…、余計なことを言うなよ…と思いましたね。

子どもが言われているのに、また私が責められている気がしました。

相変わらずぶしつけな奴だな…と思いましたが、そのときはあまり気にすることはなく施設を後にしました。

 

お風呂に入って嫌なことを思い出す

そのあと、今日は夫の帰りが遅いので、子どもと二人でうどんを食べに行きました。

家に帰ったあとは、お風呂を沸かして二人で入ります。

私はお風呂に入ると、というか水に触れると、なぜか嫌なことを思い出すタイプの人間です。

今日もお風呂で、相談員に言われたことが急によみがえってきました。

「子どもの行動が遅いって言ったのは、悪口なんだろうか…。なんか気になる」

一度思いついたらその考えが頭から離れず、ずっと残ります。

心がモヤモヤして居心地が悪いんですね。

お風呂から上がって髪を乾かしていたとき、ふと「この気持ちを母に言ったら楽になるかも」と思いつきました。

相談員に直接言うことはできなかったけど、身内に話すことで心の整理がつくかもしない。

そう思って私はすぐに母に電話をしました。

 

母からいつものダメ出しを受ける

今日起きた嫌なことを順序だてて母に話しました。

以前相談員に子どものゲームを注意されたこと、今日も子どもの行動が遅いと言われたこと…。

母は黙って聞いていましたが、最後にいつものセリフを言いました。

「他人が言ったことなんかどうでもいい。そんなことを気にしてどうすんの。」

またこうも言いました。

「今日起きたことは仕方ない。次から相談員に気持ちを直接言おうと思うんなら、私にわざわざ電話してこなくても、自分の心に決めておけばいいじゃない」と。

私は言いました。

「確かに私はマイナス思考で小さいことをいちいち気にする人間かもしれない。でも、そんな自分を変えることはできない。私の周囲の人はみんな『気にするな』が口癖だけど、それを信じて生きてきてもいいことはなかった。ネガティブで誰にも受け入れてもらえない私こそ受け入れたいんだ。私だけは私を受け入れたい」

こう言っている間も、私は自己否定が止まりませんでした。

やっぱり小さなことをいちいち気にする自分が間違っているんだ…、ポジティブな母のような人間が正しいんだ…。

でも議論をまだ続けました。

母が「相談員の顔も見たことのない私がアドバイスなんてできるわけないでしょ。そんな暗い話ばかり電話してこないでよ」と言いました。

私は「でも年長者に話をするときって、普通は悩んでいるときやトラブルが起きているときだと聞くよ。それを受け入れられないのはあんたの心が狭いからじゃないの?」と言いました。

すると母は図星だったか「そうかもね、私が心が狭いからかもね。じゃあ、切るね!」と言って電話を切ってしまいました。

 

それでも、自分を責めないということ

母は体よく話を終わらせたのかもしれませんが、最後の最後で私は自分を否定しませんでした。

ネガティブな私が悪いんじゃない、子どもの言うことを肯定できない親が悪いんだと…。

確かに、いつもダメ出しされるなら母を頼らなければいいのかもしれないですよね。

ネガティブなことは自分でもよくわかっているし、母とは性格が違いすぎる。

でも私の基準はいつも母でした。

母の言うことが絶対だった。

それは無意識の領域で、最近まで自覚すらしていませんでした。

自分が母と違う考えを持てば、自然に自分を否定して母の考えをすりこませるのが普通でした。

その私が今日は母に、「私のことを否定してくるあんたこそ心が狭い」と言えた。

自分を悪い人間だと決めつけず、全肯定して相手と渡り合えた。

こんなことは初めてだったので、ケンカしたのに嬉しくなりました。

私は人と比べて未熟な人間だと思います。

だからこれからも母と対立することがあるでしょうが、それを恐れたくない。

母に頼ってきたことはたくさんあったけど、自分の核の部分は譲りたくないんです。

ゆっくりですが、自分の足で自分の人生を歩んでいこうと思います。

時には母の力も借りて、でも飲み込まれることはないように。

家庭をもったからには、妻であり母である立場を優先して生きていこうと思います。

そして、なかなか人に意見を言えない自分を変えていきたい。

当たり前のように自分を否定するのではなく、他の人のように自分を弁護しながら生きていきたい。

これまで臆病風にふかれて母の陰に隠れてきた自分を解放することが、自分の人生の課題だと思っています。

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