発達障害者が親になるのは辛い

子育ては発達障害を持った人間にとってはかなりきついと思う。

 

特に母親にとっては、子どもと接する時間、密度が高いので更に大変である。

 

子どもを一人前に育てなくてはならないので、定型の人と同じレベルのことを教えなければならない。

 

でも発達障害者にとっては自分の面倒をみることでも精一杯なので、他人(この場合は子ども)を気に掛けることも容易ではないのである。

 

自分が常識だと思っていることは教えられるのだが、例えば子どもがスーパーで自由にカートを押して走っている場合(本当はそばにいさせて走らせては駄目なんですけど)、他のお客さんにぶつかった時、それを遠くから見ている場合でも、走り寄ってそのお客さんに謝らなくてはならない。

 

子どもはもちろん謝らず、駆け抜けていくので、親が代わりに謝らなくてはならない。

 

私はそれができずに、後で主人にそのことを話したら注意された。

 

私の場合は人と話すのが苦手で、特に子どもを連れている場合は、人ごみで緊張して、自由な行動をとれなくなってしまう。

 

子どもがもっと小さい頃は、声を出すのも気が引けて、人前で子どもに注意できなかった。

 

子どもがどこかに行ってしまったり、他の人に話しかけたりして、それに親である私が関わっていくことが苦痛だった。

 

子どもの面倒というか、後始末をしなければならないことが、他人を意識しすぎることでできなかったのである。

 

それは子育てに少し慣れてきた今でもある。

 

保育園の迎えで他のママとすれ違う時、どんな顔をしていいのかも迷う……。

 

私は過去のトラウマから少し対人恐怖もあるので、やはり人間が怖いのかもしれない。

私から定型の人たちを見ると、なんて華麗に日常生活をこなしているのかしら、と尊敬のまなざしで見てしまう。

 

会話も動きもスムーズだし、テンポも速い。

 

出産する前はあまり比較してこなかったけれど、子どもを生んで否が応でも自分以外の人(子ども)のことを真剣に考えなくてはならなくなった時、自分と他人の能力の差に気付かなくてはならなくなった。

 

昔は他人のことを意識しているつもりでも独りよがりで、自分が人からどう見えるのかばかり気にしていたと思う。

 

でも子どもができてからはその存在まるごと受け入れなくてはならないので、自分のことばかり考えているわけにいかなくなった。

 

他の人はそういう変化があったとしても私たち発達障害者よりスムーズに受け入れられるんだろうけど、変化に弱い私は、それによって自我が崩壊するかと思いました。

 

このブログでは出産&子育てという人生のビッグイベントを通して、私(発達障害者)の考え方がどう変化していくのか、その経緯を綴っていきたいと思います。

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