【嫌われる勇気】自分を認める心理学【悪魔とのおしゃべり】

自分を責める人がいます。

人と比べてスポーツができない、勉強できない、出世できない、見た目が悪いなど、表面的な能力の足りなさを責める人もいれば、気が利かない、怠惰だ、攻撃的だ、消極的だ、など性格の深部を責める人もいます。

そういうときは、飽きるまで責めればいい。

いつかは自分責めに飽きるので、飽きてはじめて一歩踏み出せばいいんです。

プラス思考もマイナス思考も全てを受け入れて、前向きに生きていくための方法を考えようと思います。

 

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事実として、悪いところは誰にでもある

自分を責めてしまう人の共通点は、自分だけが悪いと思っていることです。

自分だけが根暗だ、攻撃的だ、消極的だ、優しくない、頭が悪いなど、焦点が一部分にだけ注がれていて、全体をみる余裕がなかなかありません。

いいところがあってもそれに気付かないのです。

でもよく言われることですが、人って多面的です。

完璧に見える他人でも、劣っているところはあります。

ただ自分を否定して縮こまるか、克服しようとして一歩を踏み出すかの違いはあるでしょう。

克服するハードルが高ければ、まずそんな部分も認めることから始めるのがいいと思います。

いい部分も悪い部分も自分であると認め、それを変えようとしない。

心の健康な人はそれができています。

自分を否定する心も、本当の自分なのだと認めることが大切です。

 

一歩を踏み出すために

自分のマイナス部分も認めることができたら、まずはそのまま表現してみる努力をします。

誰かに嫌われるかも、とか、変な人だと思われるかも、という気持ちはありますが、その不安を捨てずに抱えながら行動していきます。

考えることから、小さな行動へ。

すると自分がマイナスだと思っている部分を表現しても、世界はなにも変わらないことが分かります。

ちなみに私は、人前にでるとビクビクしてしまう自分が嫌いでした。

もっと堂々としたいけど、その勇気もない。

ならば、ビクビクした自分をむしろ前面に出してぶつかろうと思いました。

人前でおどおどした自分を味わう。

それまで虚勢を張っていた私にとっては、それも新鮮な経験です。

マイナスを避けるのではなく、その胸に飛び込んでいくつもりで素の自分を表す練習をしました。

 

また、怒りの感情もそうです。

怒りについては後述する「『悪魔とのおしゃべり』自分の感覚を大切にすることの重要性」でも書きましたが、私の人生にとって大きなウエイトを占めているので、ここでも少し書こうと思います。

私は家族以外の人に怒りを出すのが下手でした。

そんな自分が許せなかった。

本来なら怒りを出せない自分を認めることが必要なのかもしれませんが、私の心の奥底に眠るじゃじゃ馬な部分がそれを許さず、どうしても怒りを抑えたくなかった。

昔、黙って耐えていたいじめの影響だと思います。

参考記事:自己紹介

それなら表面的な気持ちを採用して、怒りを出せばいいんです。

私の場合はきつい言い方をする人、頭から押さえつける人が嫌いでしたから、そういう人に会った時は不快感をあらわにする練習をしました。

怒り=悪の感情は少ないときから解消する必要があります。

我慢すると知らず知らずに大きくなって、事件や自殺に発展することもあるとのことで・・・。(後述します)

マイナスを意識して表現することで、自分の一部を無視しないようにするのが大切です。

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「嫌われる勇気」アドラー心理学の教え

この本は、人の悩みは全て人間関係に由来していると言っています。

それほど他人というのは、自分の人生に深く関わっているんですね。

私は人が苦手ですし、嫌いと思うこともあります。

それは過去のいじめが大きな理由ですが、発達障害のせいでコミュニケーションが上手くとれないからだと思っていました。

しかしこの本を読むと、人は苦手なものを避けるために、原因=トラウマを作り出すそうです。

あなたは他者から否定されることを怖れている。

誰かから小馬鹿にされ、拒絶され、心に深い傷を負うことを怖れている。

そんな事態に巻き込まれるくらいなら、最初から誰とも関わりを持たないほうがましだと思っている。

つまり、あなたの「目的」は「他者との関係のなかで傷つかないこと」なのです。

では、どうやってその目的をかなえるのか?

答えは簡単です。

自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になってしまえばいい。

そうやって自分の殻に閉じこもれば、誰とも関わらずにすむし、仮に他者から拒絶されたときの理由づけにもなるでしょう。

わたしにはこういう短所があるから拒絶されるのだ、これさえなければわたしも愛されるのだ、と。

私の場合、いじめというトラウマがあるから人が苦手になったわけではなくて、人から嫌われたり人間関係で傷ついたりすることが嫌だから、いじめがあったことを免罪符にして、現在の人間関係の構築を躊躇しているわけですね。

理屈では分かりますけど、なかなか納得しがたい考え方ですね・・・笑

確かに、私はとても臆病です。

傷つくことを必要以上に恐れている。

そのため人に気に入られるように自分を曲げて生きてきましたが、そうする必要はないということです。

私が恐れを無くすには、素のままの自分で勝負するしかない。

嫌われてもいいからマイナスな部分もさらけ出し、不器用でも一歩踏み出すんですね。

そうして世間とぶつかって、人との境界線を身体で感じ取っていくしかない。

避けても追いかけてくる人生の課題には、逃げずにぶつかっていかなければならないと思いました。

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「悪魔とのおしゃべり」自分の感覚を大切にすることの重要性

この本は「正しさを捨てろ」と言っています。

「正しさ」とは、この世の中の常識と呼ばれるもの。

例として、黒人の奴隷制度があった時代に、黒人奴隷が手記でこう書いていたそうです。

「神様、『ベッドで寝たい』と思った私は、なんと罪深い人間でしょう」

この言葉を現代版でなおせば「鼻の穴が二つあるのに、右の鼻だけで息を吸うように決められている。でも『左の鼻で息を吸いたい』と思った私は、なんて罪深い人間でしょう」となります。

時代が変われば価値観も変わります。

しかしその価値観が当たりまえすぎて、私たちはそれを疑いません。

世界には「悪いこと」「悪い行い」「犯罪」など、本当は存在していない。

あるのは、小さな「欲求」だけだった。

ところが、「正しさ」に怯えた人間は、心の奥底に「欲求」を隠し続けた。

奥へ隠せば隠すほど、「欲求」は水面へ浮上しようとしてパンパンに膨らむ。

そして、ある日、一気に「犯罪」として吹き出す。

だから、小さなうちに「欲求」を解消すれば、犯罪など起こらない。

ただ、悪を許してみろ。

「あなたと許します」と言ってみろ。

すると、自分が「正しさ」に怯えて隠していた「私もやりたかったこと」が見つかるし、その「欲求」が大きくなる前に、開放が起きる。

小さな不満を見てみぬふりしてはいけません。

私は妊娠している最中から、なぜか怒りの感情を抑えることができなくなりました。

もちろん身体が普通の状態ではないですし、感情の起伏も激しくなるのが当然かもしれません。

また「この子のために堂々とした親でいたい」と思い始め、自信がない自分が嫌になったので、本当の自分になりたいという気持ちのままに強い自己主張をしました。

一般的に怒りは悪い感情です。

私の場合は怒りを出すことはもちろん、感じることにも罪悪感がありました。

でもどんな自分も認めてあげたいと思うようになって、少しずつ怒りを認めて、だす練習をしました。

今でもその訓練は終わっていません。

いざ、人を前にすると怖気づいてしまいます。

でも怒りの感情を認める前に比べて、自分に自信がもてるようになった気がします。

人はみな対等です。

自分だけ「~してはいけない」ということはありません。

人も自分も大切にできるように、自分の中の「悪」を認めていきたいです。

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私が考える個性とは、マイナスを貫き通すこと

何が正しいか、間違っているかは、時代にもよるし人それぞれです。

「悪魔とのおしゃべり」にあったように、それに惑わされないことが大切ですね。

映画やマンガのヒロインが勝ち気なタイプで、主人公(ヒーロー)にわがままを言ったり、平手打ちしたりするシーンがあるように、自己主張することは悪いことではないのです。

その場その場で、思ったことを素直に表現すること。

怒りや悲しみ、恐れ、怯えを心にためないこと。

そうすることで堂々とした自分が形づくられます。

自分の全てを表現する「勇気」をもって、そこから逃げないことが本当の自信の土台です。

人から非難される不安があっても、自分を見捨てずにマイナスの部分を持ち続けることができるかどうか。

それが「嫌われる勇気」の帯にある「自由とは他者から嫌われることである」を表しているのだと思います。

優しい母親のように、どんな時も、どんな自分も見守ってあげることが大切です。


 

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